pyspaからツキノワ株式会社設立に至るまでの話

この記事はpyspa Advent Calendar 2016の25日目の記事です。
http://www.adventar.org/calendars/1435

ムームードメインから、今なら.comが50円だよというメールが来たので、なんとなく hfunai.com というドメインを取得してブログを作ってみました。ブログがまったく続かないせいで、 Advent Calendar を書く場所がなかったので、WordPressで作りました。あえてWordPressなのは100%仕事上の都合です。

TL;DR

ツキノワ株式会社があるのはpyspaコミュニティがあったおかげであり大変感謝しています。メリークリスマス!

うちのデザイナーがかいてくれたイラストですが、当日にまだツリーの飾りつけをしているあたりぼくの生き様を書いているかのようです。

以下、駄長文。昨日のwozozoさんの記事で歳を取ったという話がありましたが、歳を取ると昔話をしたくなるのでしようと思います。本当はこの5倍以上の文章を書きましたが、編集によりなくなりました。

さて、バイトの面接で「2年後に独立しようと思ってるので社員にはなれません」という発言とともに入ったウェブ業界ですが、4月で15年になります。大学を単位ギリギリで卒業したばかりの行き先のない若者をその瞬間から雇ってくれたあの会社には大変感謝しています。

面接の直後からもらった仕事はバナー制作でした。何に使うバナーなのかも1週間くらいはわからなかったけど、「今すぐクリック!」とか「自宅から生放送」みたいな文言とともに女の子画像が送られてきて、これでバナーを作ってと言われました。アフィリエイトという仕組みで宣伝してもらうためのバナーということでした。(当時のバリュー◯マースは、そういうサイトが参加できるくらい審査がゆるかったみたいです。) とにかく、作っているものがなにかは考えずに、ひたすらバナーを作りました。100個くらい作ったものから16個くらいが採用になって、それが世に出た最初の作品だったと思います。

pyspaからと言いつつ社会人になるところから始めちゃいましたが、無駄に長くなるので、一世を風靡した某ライブチャットサイトの思い出と、このサイトがいわゆるアダルト系のサイトなのかという議論はまた今度するとします。あとこの会社が何で稼いでいたかという話は長くなるのと命を狙われるのは避けたいので記録に残らないところでしゃべります。

pyspaコミュニティとの出会いは、Python/Djangoとの出会いから始まります。元々はwxPythonを使ってみたくて、Pythonをはじめたんですが、2006年あたりに当時新宿にあったマイクロソフト社で行われたイベントで、Djangoの存在を知り、使ってみてものすごく気に入りました。ぼくは今でもDjangoがせかいさいきょうのWeb開発フレームワークだと思ってます。Djangoをはじめた当時のブログ記事を発見しました。 (当時書いてた自分のメインブログは死んでますが、ホスティングしてもらってると残ってるからいいですね。) そして、その時期あたりから開催されるようになったDjango勉強会に頻繁に参加するようになって、そのままPython温泉メンバーへと流れたという記憶があります。

その頃は、やっと会社をやめて勢いで最初の会社、株式会社モノスペースを作ったあたりで、まったくお金がない時期でしたが、よく高速バスで東京に行きました。会社を作って思ったのは、社会的信用がまったくなくなるということ。当時27歳で貯金もまったくなかったので、オフィスを借りるときも運良く有給消化中だったので、ギリギリ会社員ということで借りれましたが、もし辞めたあとなら無理だったと言われました。新規でクレジットカードも作れなくなりました。楽天カード以外全部審査落ちました。多分キャッシングをそれなりに使ったせいだと思いますが。

会社をはじめて一番の誤算は売上の入金の問題でした。(普通はそういうことも考えてから起業するんですが) ありがたいことに先に辞めていた元同僚から仕事はもらえていたのですが、支払いが納品後、基本翌月末や翌々月末だったりするわけです。毎回この案件全体でいくらという感じでやっていたので、納品がいろいろな事情でずれてしまうと1ヶ月単位で入金が遅れるわけです。仕事の進め方も相場もわからないので大変苦労しました。とにかく早く入金してもらうために、コー速というサービスを始めたりもしました。多少キャッシュフローが改善したので、お客さんに引っ張られ過ぎずに自分のペースに持っていくのが大事だなということを学んだ時期でした。

色々あって安定を求めた結果、会社を合併して東京に来たときに、リーマンショックの影響で取引先の仕事が激減していたり、自分が東京に来るきっかけになった大きめの案件が、まさかの風水ショックでなくなったりした結果、給料が10万下がるという事件があり、貧乏ヒマなし状態で忙しくなってしまい、せっかく距離が近くなった勉強会やイベントへの参加ができなくなってしまいました。それでも自分のことを覚えてくれていたpyspa周辺メンバーからお仕事の話をもらえたりで、安定して会社が回るようになりました。

東京に来て最初の5年間は無心の5年と呼んでいて、また自分の会社を作ろうという気持ちはなかったのですが、2013年の年末、とある場所でご飯を食べているときにV氏にお金のかかる趣味を作ろうぜという話をしていたところ、なぜか、「じゃー金出すから会社作ろう」みたいな話になりました。投資はお金増える可能性あるから趣味じゃないという話をしたところ、「会社作ろう」を20回くらい言ってました。会社作ろうモードに入ってしまったV氏を止める術もなかったのです。次の日も言いました。「まだ会社作らないの?」次の週も言いました「会社まだー?」年明け最初に社長にあったときには会社辞めるって言ってました。その後、2月には会社ができてました。ささやかな抵抗でV氏を無理やり取締役に任命しました。

ツキノワ株式会社は、今のところ思った以上に順調に進んでいます。前の会社の仕事は全部自分に紐付いている仕事だったので、それだけでまあぼちぼちやっていくつもりだったんですが、V氏からshirouさんを紹介してもらって、ツキノワは劇的に変わりました。会社として受けられる仕事の単価は劇的にあがったし、幅も広がって、他のエンジニアも一緒に仕事ができることで成長できる環境ができました。V氏がツキノワを宣伝してくれることで、ツキノワとpyspaメンバーとのつながりはより強くなっていて、たくさんのお仕事を頂いています。みなさん本当にありがとうございます。また、2人には感謝していると同時に、会社のフロントも任せてしまっている状況なので、自分もがんばろうと思っている次第です。(未だに一度も営業的なことをしたことがない…)

ツキノワは今後も受託を続けながら、自社サービスの開発を進めようと思ってます。自社サービスを成功させることが会社を作った目的だし、唯一ブレない部分です。社員はぼくのマネージメント能力の限界で10人くらいが限度だと思っているので、受託だけだとフェラーリ買えないんですよねえ… 911カレラもまだ買えないし、Paul Reed SmithのMcCarty 594もGibsonのES-335も全然余裕で買えません。億万長者編の話するのはまだ先になりそうです。

会社を続けるモチベーションはシンプルな方がいい。つまり金だ。
hfunai

よいお年を。